電子情報通信学会 2003年10月号「関西を科学する」特集
1.はじめに
関西とりわけ大阪には、大企業のみならず多種多様な中小企業が存在し、家電産業もその一つである。
「天下の台所」と呼ばれた大坂は、江戸時代から明治にかけての300年間に日本の流通経済の原型を築き上げた。集められた物産を加工し、他地方に輸出するといった生活必需品の加工産業も盛んで、商都大坂から近代産業都市大阪へと発展を遂げ、明治時代になると、生活文化産業のイメージを色濃くしていく。
「政府に頼らず、町人自らで革新する精神」、「独創的な発想から生まれる文化」、「生活に根ざした技術溢れる工業」で表される通り、様々な産業を生成する土壌がここにはあったと考えられる。
我々は時代の大きな変革期にあたって、次なるくらしや社会のモデル像及び家電産業の未来像を模索していかなければならないが、大阪の発展過程にはそのためのヒントがたくさんありそうだ。デジタル&ネットワーク時代の家電ビジョンを念頭に、大阪を主とした関西と照らし合わせながら、家電の役割を再考してみたい。
2.“家事”から“くらし経営”へ
アメリカの家政学の影響を受け、家庭生活の合理化が進みだしたのは1920年代。「家事を家庭内に閉じ込めるのではなく、家庭外の人々と共同化していこう」、「家事労働のあり方を再編し、そのための装置や空間を新たにリデザインしよう」という家事に対する考え方が謳われるようになった。
これより、「家事の商品化」が始まり、1918年に松下幸之助が「二股ソケット」を考案した前後から、第一次の家庭電化ブームが始まる。電気冷蔵庫、電気洗濯機が登場し、電気コンロ、トースター、ストーブ、扇風機、アイロンなどが出揃い始める(1)。
ここで、江戸時代の大坂の住まいについて触れてみたい。当時の大坂は借家が多く、1689年には約84%が借家住まいであった。ほとんどが長屋であり、居住だけでなく商いまで兼ねていたため、表通りに面して長く並んでいた。そして、この借家文化・長屋文化は、江戸や他の地域に見られない合理的なものに発展していったという。
例えば、「裸貸(はだかがし)」という独特の賃貸システムは、住居内の畳や建具などは備え付けず、借家人自らが商売や趣味に合った建具や家具を購入するといったものであった。これにより、大坂ではくらしに必要な家具や建具といった道具が多く生産され、また、中古品市場まで広がりをみせた。
このような住まい文化一つをとってみても、大阪は合理的な道具を容易に受け入れる風土であったと考えられ、当地において家庭電化の波は浸透を加速させたのではないかと推測される。
第二次家電ブームは1950年代。
いざなぎ景気と相まって、三種の神器と呼ばれた洗濯機、掃除機(のちに冷蔵庫と入れ替わり)、テレビが一般大衆に普及していく。この高度成長期の家電ブームは、家事労働を人力から電力へとシフトさせ、至便性や快適性をもたらし、社会を女性開放へと向かわせた。
1961年の池田内閣の所得倍増計画と消費美徳論から、節約よりも消費が国家反映に役立つというロジックが、主婦に「消費者」という新しいファクターを与えたこともブームを後押しした(1)。
その後の80年代以降、自動販売機やコンビニなどの定着に見られる通り、家事文化は家の中だけに留まらず、その外にまで拡大することとなる。
そして現在。私たちの家事事情は新たな局面を迎え、それは複雑極まりない様相を呈してきたと言える。ホームセキュリティの契約数の増加やミネラルウォーターの定着は、安全や安心は自らで買う時代であることを意味する。ゴミの分別などの「環境家事」は、家事労働の新たなジャンルとして発生してきている。また、食品添加物への懸念、健康・医療・教育への悩み、保険や金融の自己責任運用などは、高度な知識と知恵を要求されるものとなっている。
以上のような高度化した社会においては、家事を単なる「家庭に関わる諸活動」という概念では括りきれなくなったと言っても過言ではないだろう。然るに、ここでは“家事”ではなく、あえて“くらし経営”と呼ぶことにする。
少々大げさだが、「個々人がくらし方の方針を定め、諸活動の体制を整え、目的(生きがい)を達成するよう継続的に実行する」ことこそが21世紀の「家の事」であり、その支援のために家庭電化は新しい使命感を持たなければならない。そして、デジタルやネットワークに関わる先端の技術が、個々人が直面する課題を解決する有効な手段とならなければならない。
3.ずっとつながることの意味
インターネットを主とするグローバルネットワークは、すべてのものをネットワーキングしそうな勢いである。パソコンや携帯電話だけでなく、テレビやオーディオ、冷蔵庫や洗濯機、ひいては、家の照明やドア、もしかすると我々が身に纏っている衣服もネットワークとつながるかもしれない。
メトカーフやテレコズムの法則で語られるとおり、ネットワークそのものはそれに接続する端末数が増えれば増えるほど存在価値を飛躍的に増加させるという(2)。このような観点から考えると、パソコンや携帯電話がネットワークの主役ではなく、生活に身近な各種の家電や設備、さらには住宅のすべて、街のすべてがネットワークに接続されることを真剣に捉えなければならない。あらゆるモノを無限につなげあうことそのものに意味がある。
また、携帯電話やPDAに代表されるモバイルメディアは、常に肌に触れているメディアであるという点で、テレビやラジオとは全く異なる性格を有している。
現に携帯電話をアドレス帳や音楽プレーヤー、カメラ(記録端末)として活用し、携帯電話の通じない地下街や店舗は集客力が低下するとまで言われ、今後は個人認証機能や決済機能まで担う多機能な「肌から0cmメディア」として進化する。
ネットワークと直結したモバイルメディアは、生活者が常にネットワークへの入り口を手のひら(もしくは目や耳などの感覚器官)に所有することを意味し、あらゆる人々がネットワークの先にあるインテリジェンスにつながりつづけることになる。(図1)
ブロードバンドネットワークにつながるあらゆるモノとモバイルメディアでつながるあらゆる人々の間で送受信されるコンテンツは、音楽や映画などのリッチコンテンツだけではなく、おそらく身近な生活シーンや生活感覚そのものとなるだろう。
速度は光の速さが物理的尺度となり、将来の豊富なネットワーク帯域は無駄使いを気にしないほど利用されるようになるだろう。
技術の進展はさらに加速する。重要なのは、“くらし経営”の課題解決に向けて、このつながりつづけることの価値をどう活用していくかである。
4.くらしを支えるコミュニティ
一般的に家電機器を提供する企業側は、生活者を消費者もしくはユーザーと呼んできた。
しかし、画像撮影の楽しみ方、音楽の楽しみ方、料理の楽しみ方、ガーデニングの楽しみ方など、生活者の行動をよく観察してみると、生活者自らが満足度を高めるために、ある価値を生産していることに気づく。消費者・ユーザーというより、まさにアルビン・トフラーが提唱した「プロシューマ-」と呼ぶ方が相応しい(3)。
例えば、ある人がデジカメで良い写真が撮影できると、思わず他の人へ見せたくなりインターネットの写真掲示板に投稿する。それを見た人は感想を投稿する。別の人は役立つ情報などを提供してくる。そして、これらの情報や交流活動を垣間見た第三者は、新たに自分の写真を投稿するようになる。
以上のような創作物や知恵・知識の交換サイクルを通じて、人々がワクワクした生活を満喫していく行動そのものがくらしの価値であり、新しい出会いや集いを育む土台がコミュニティといえる。
生活における交流やコミュニティの知恵は昔から存在していたはずである。江戸時代より町民による独自の自治を行なってきた大坂でも、豊かなコミュニティの風土があった。
長屋の表から裏を結ぶ家の内部である通り庭は、表の店庭と奥の台所庭とに二分されるが、不特定多数に開かれたパブリックスペースとプライベートな生活空間とが共存していた。各長屋には共同の井戸や便所があり、「井戸端会議」と言われるようにコミュニティの場が存在した。
「用水桶」や「番屋、自身番の行灯」などは町の共用設備・施設であった(4)。
また、寛永年間より続いている心斎橋筋商店街、2.2kmと全国一長い天神橋筋商店街、800m四方に縦横に広がる千林商店街など、個性豊かな大阪の「商店街」は数え上げればきりがない(5)。
人の往来を自由にしながら、町の共同体としての意識を個人に持たせることで治安維持を確保したコミュニティを、大阪は生活の原動力としていたと考えられる。
コミュニティとは、自主性と責任を自覚した個人及び家族を構成主体として、共通の目標を持ち、開放的で信頼感のある集団のことを指す。そこでは、生活者同士が相互扶助的に様々な問題解決を実行してきた。
1960年代以降の急激な都市化の進行に伴い、専門的な課題処理は外部へ任せるといった社会システムが構築されたことによって、先に述べた伝統的なコミュニティは解体されてしまったが、現代社会では、特定の価値や行動に共鳴する者同士が主体的に集合することで、新たなコミュニティ組織を形成している(6)。
もちろん、インターネット上での様々なコミュニティも同様である。ネットワークはつながりつづける状況を提供する。目指す価値や行動に基づき、時間や場所を超えたコミュニティを形成できることが特徴である。
5.くらし価値を育む生活基盤に向けて
これからの家電が、“くらし経営”において直面する課題の解決に寄与していくためには、コミュニティがもたらすメリットを十分に認識しなければならない。
生活者はそれぞれ、「労力」や「技能」、「知識」、「資金」、「時間」、「空間」、「財・もの」、「エネルギー」といった多様なリソースを持ち、これらはコミュニティ内で共有及び交換することができる。
例えば、「知識」同士の共有においては、その集約化により、生活全般の生産性向上や自己実現のための支援が展開できるし、「空間」の共有は新しい共用スペースを、「財・もの」の交換はリユースサイクルを生み出すことができる。(図2)
プロシューマ-である生活者は、このようなリソースの共有及び交換(更に今後重要となってくる異種リソースの共有・交換)を糧にすることで、更なるくらし価値の創造を展開することができる。大阪の良きコミュニティ風土と関連するいくつかの例を挙げてみよう。
例えば、奥様同士が映像チャットでコミュニケーションをしながら、電子レンジを介した自家製料理レシピの交換や、明日の食材を共同発注するなどの交流は、これまでストレスを感じていた調理家事行動を助け合うことになる。まさに「井戸端会議」である。
毎日には必要ないが、あると便利な大型のホームシアターやオープンキッチンなどは、利用管理を円滑化することでローカルでの共同所有を図ることができる。さながら「用水桶」や「番屋、自身番の行灯」である。
オンラインショッピングサイトは、単なる購買の場ではなく、情報の入手や交換の場でもある。商品に関する第三者の評価や意見、購入後の使い方などを参考にしながら、安心してテレビやモバイルからショッピングを楽しめる。まさに「商店街」である。
住宅周辺に設置されたカメラモニターによるセキュリティ監視は、近隣相互扶助により皆で日々見守りあうコミュニティへと展開可能である。共同体としての意識を個人に持たせた治安維持である。
その他、DVDメディア等に記録された子ども運動会などの複数コンテンツを離れた家族や地域関係者の間で共有し、遠隔のテレビから自由に鑑賞できるといった生活映像コミュニティも形成できると考えられる。
以上、ネットワークにつながる家電は、適材適所なリソースの共有及び交換を可能とする。すなわち、生活者の知恵次第で、くらし価値向上の無限の可能性をもたらす“生活基盤”として位置づけることができる。これこそ、これからの家電が担うべき使命である。
6.生涯価値を関西から・・・
人生という時間は有限である。
然るに、くらし価値について考察を深めると、単一のくらし価値に留まらず、人の生涯を尺度とした大きな価値の総体を考えていかなければならないことに気づく。健康というくらし価値は、いつのライフステージでも重要なものだが、ある人は美容、ある人は生活習慣病予防、ある人は疾病の治療など、個々人において価値の目標及びその実現の手段が大きく異なる。
しかし、一個人の生涯健康を見据えるならば、各価値はライフステージを跨ぎ、数珠繋ぎになって連鎖するはずである。また、健康は食と密接に関係があるため、健康サービスは食サービスと連携されることで価値の総体が増してくるはずである。その時々の健康ではなく、その人の生涯の健康価値を前提とするならば、今後あるべき健康サービスは生涯に向けた総合サービスとして展開されなければならないだろう。(図3)
江戸は「武士で政治の町(文化と教養のまち)」、京都は「公家で皇族の町(雅な町)」、大坂は「町人で商業の町(楽しさと実の町)」と捉えられていたというが、くらし価値の創出は、楽しさと実がもっとも相応しい。
また、生涯価値の観点による総合サービスの創出には、新しい技術と実利にかなったビジネスモデルが求められるが、まさに大阪が育んだ実証的な物の見方と現実主義がものをいう時である。
これまでの大阪の発展は、「自立した精神」、「独創的な文化」、「生活に根ざした工業・産業」が真髄であった。くらし価値・生涯価値を育む基盤である次世代の家電を21世紀の技術・工業として、大阪らしい価値流通モデルの形成を願ってやまない。がんばれ大阪、そして関西!
7・あとがき
大不況の最中、残念ながら大阪は、他の都道府県の群を抜いて失業率ワーストワンである。
本稿では明言しなかったが、大坂が築いた日本の流通経済の原型は21世紀には通用しないと思う。逆を言えば、その原型を自ら否定し、破壊し、新しいシステムとして再構築させていくべきだと考える。過去に形成されたシステムに着目するより、それを生み出した土壌や文化、精神にイノベーションの鍵があると信じている。
内藤湖南が「近世文学史論(関西文運論)」の中で残した「学問、文化は西から東に移る(7)」をもう一度・・・である。
用 語 解 説
「大坂」と「大阪」:大阪の地名のいわれは、いろいろありはっきりしていないが、室町時代、蓮如上人の「攝州東成郡生玉之庄内大坂」の記載が、文献に残る最古のものとされている。江戸時代には、「大坂」が多く使われていたが、「坂」の字は土偏に反ると書き、土に反るということを忌みきらい、次第に「大阪」が混用されるようになった。その後、明治10年ごろになって、ようやく「大阪」に落ち着いた。
メトカーフの法則:ネットワークの価値は端末数の二乗に比例して増大する。
テレコズムの法則:ネットワークの価値は、ネットワークに接続された全端末の処理能力の二乗に比例して増大する。
プロシューマ-:生産者(プロデューサー)=消費者(コンシューマー)。自ら生産し、自ら消費する者。アルビン・トフラーが「第三の波」で説いた。
文 献
(1)“にっぽん家事録”,建築資料研究社,2002
(2) George Gilder/葛西重夫(訳),“テレコズム”,ソフトバンクパブリッシング,2001
(3) Alvin Toffler/徳岡孝夫(訳),“第三の波”,中央公論者,1982
(4) 大阪市立住まいのミュージアム編,“住まいのかたち暮らしのならい”,平凡社,2001
(5) なにわ物語研究会編,“大阪まち物語”,創元社,2000
(6) 沖田富美子、定行まり子、大家亮子、村田あが、稲田深智子,“住生活論”,光生館,2000
(7) 大阪市(財)大阪都市協会,“阪学講座なには2000年”,1994
以下は、全般的な参考文献
・ 司馬遼太郎,“大阪の原型‐日本におけるもっとも市民的な都市”,(財)大阪都市協会,1987
・寺内信,“大阪の長屋”,INAX,1992
・ 創元社編集部編,“大阪ものしり事典”,1996
・ “日本生活文化史10 軍国から民主化へ”,河出書房新社,1975
・ 高山美和他,“ライフ・ワークスタイルビジョン~「リソースシェアリング」とビジネス展開(創研REPORT 2000年冬号)”,松下電器産業(株)システム創造研究所,2000