日経コラム 第1回 2005年7月3日
「天下の台所」と呼ばれた大阪は、江戸時代から明治にかけての300年間に日本の流通経済の原型を築き上げました。
集められた物産を加工し、他地方に輸出するといった生活必需品の加工産業も盛んで、商都から近代産業都市へと発展していく中、現在の「ものづくり日本」のひな形を創りあげたといえます。
「政府に頼らず、町人自らで革新する精神」「独創的な発想から生まれる文化」「生活に根ざした技術あふれる工業」を特徴とする大阪は「楽しさと実利」を核とする様々な生活文化の産業を生み出しました。他でもない家電産業もそのひとつです。
時代は下って1920年代。家庭生活の合理化が進みだしました。「家事を家庭内に閉じ込めるのではなく、家庭外の人々と共同化していこう」「家事労働のあり方を再編し、そのための装置や空間を新たにリデザインしよう」という考えが提唱され、家事の商品化が始まります。
私が所属する松下電器産業の創業者、松下幸之助は1918年に「二股ソケット」を考案しましたが、その前後から第1次の家庭電化ブームが到来し、電気冷蔵庫、電気洗濯機が登場するとともに、電気コンロ、トースター、ストーブ、扇風機、アイロンなどが一般家庭へ広がりはじめました。
この家庭電化ブームを支えた大阪の風土について、ひとつ例を挙げてみたいと思います。
江戸時代の大阪の住まいには、「裸貸(はだかがし)」という独特の賃貸システムがありました。住居内の畳や建具などは備え付けず、借家人自らが商売や趣味に合った建具や家具を購入するといったしくみです。江戸や他の地域には見られなかったこの仕組みのおかげで、暮らしに必要な家具や建具といった道具産業が大阪では生まれました。この実利的な風土が、家電第1次ブームを支えたのでしよう。
今週から約2ヶ月間、『未来の暮らし 半チャンネルひねれば』と題したコラムをお送りしたいと思います。
少子・高齢化、地球環境問題、安全神話の崩壊など、未来の暮らしを取り巻く課題は山積ですが、こんな時だからこそ、大阪の真髄である「楽しさと実利」の視点が欠かせません。いつもの目線を半チャンネルひねってみて、硬いことを言わずに、全く新しい暮らしの仕組みを皆さんと考えていきたいと思います。